2016年01月16日

DAIGO 竹下家の闇  竹下登 竹下勇造 BREAKERZ 北川景子 岩瀬達哉

清水星人の忠実な犬として走り続けるDAIGOの亡き祖父、竹下登といえば、世間では「金丸との強力タッグの悪徳政治家」ぐらいのイメージだろう。

だが、竹下家にはもっと大きな闇があると、
著名ジャーナリストの岩瀬達哉氏がその著書「われ万死に値す ドキュメント竹下登」にお書きになっている。

引用させてもらおう。


島根県の造り酒屋で、竹下勇造の長男として生まれた竹下登は、1944年3月、20歳の学生の時に竹内政江と結婚。
東京で新婚生活を送っていたが、8月には軍隊に入ることとなり、政江は一人、島根に戻ることとなる。

そして1945年、政江は、3月に妻を亡くした義父の勇造から毎晩のように「干渉」を受けるようになったという。

岩瀬氏は「干渉」という言葉しか使っていないが、常識で察してくれということなのだろう。

4月、悩んだ政江は、東京の兵学校で訓練を受けていた夫に相談に行く。
しかし登は、「お前に問題がある」「お国が大変な時に家庭の問題で煩わすな」と政江を叱ったという。

島根に戻った政江は、5月23日に首を吊って自殺。
竹下家のお抱え医師により、「病死」の診断書が書かれたという。


登は政江の自殺からわずか8ヵ月後の1946年1月、DAIGOの祖母となる直子と再婚する。
直子は勇造と遠い親戚関係にあり、戦争中は勇造の家に疎開していた。
勇造と政江、そして直子は一つ屋根の下で暮らしていたのである。

竹下直子が長女を生んだのは、記録では1946年4月29日となっており、
終戦により登が帰郷した1945年8月末からわずか8ヶ月、結婚から4ヶ月も経たないうちに子供が生まれていることになり、竹下家の謎の一つになっている。

しかし地元の老人からは、「直子が長女を産んだのは、確か1946年8月だった」という証言もあるという。

(以上、岩瀬達哉「われ万死に値す ドキュメント竹下登」新潮社刊)


昭和の日本の地方の名家にあった闇。

DAIGOが「個人」として、売れないミュージシャンだけやっているのであれば、このような竹下一族の闇を、改めてここに書く必要はないのかも知れない。

だが、DAIGOは祖父・竹下登の「血」をバラエティ番組で最大限に活用して金を稼いでいる。
竹下勇造・竹下登の「血」の闇の部分へも耳を傾ける義務がある。

政江さんのご遺族は、その後の竹下の政界での活躍、DAIGOの芸能界での活躍をどんな思いで見つめてきたのだろうか。


「DAIGOさん、“BOHOK”って?」
「“ボクのおじいちゃんとひいおじいちゃんはクズ”です。RIP、政江」
 


morihikari at 06:20│Comments(0)雑談 

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